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札幌地方裁判所室蘭支部 昭和32年(わ)10号 判決

被告人 篠原正雄 外三名

主文

被告人らはいずれも無罪。

理由

一、本件公訴事実は『被告人篠原正雄は室蘭市新富町十五番地所在日本製鋼所病院建設工事の請負会社である株式会社藤田組室蘭出張所々長、被告人元吉和彦は同会社の右工事現場監督者、被告人太田拓は更に同病院建設のための地下素掘工事を右藤田組より下請した太田建設株式会社母恋営業所々長、被告人中田正雄は同社の右工事現場監督者として何れも共同して右地下素掘工事の遂行にあたり作業全般にわたる指示監督をなしていたものであるが、昭和三十一年七月二十八日同工事着工以来右太田建設株式会社の人夫である川上正良外約十五名をして同所に東西に十二米南北に十六・五米、深さ約四・八米の地下の素掘の工事を終り更に同年八月十五日頃からは、右基礎部分の沈下防止並に補強のため右掘さく部分の外側より内部に向つて約四十五度の角度でバットレス掘さく工事をさせていたものであるがおよそ斯様な地下掘さく工事に際し工事の監督者としては工事の安全を確保するため掘さくの法を充分に保つはもとより、掘さく面の岩盤が著るしく風化したものであつたり又は亀裂が存在する場合は容易に崩落する危険性が大であるから亀裂の存否及びその傾斜方向等を充分調査し若し危険な亀裂の存在を確認した場合は直ちに安全措置を執るべき業務上の注意義務があるのに拘らず、これを怠り右素掘りの南側の岩盤が比較的堅固であるため崩落の危険はないものと軽信し僅か掘さくの法を約二分にとどめたのみで何等亀裂の存否の調査をなさず漫然南側壁の中央に長さ約四米、傾斜度約四十五度のバットレス掘を続行したため南側壁に素掘り部分に向つて傾斜している長さ五、六尺に及ぶ数本の亀裂の存在を発見し得ず、右亀裂の滑動に対する抵抗力を弱め同月二十九日午前八時三十分頃遂に南側掘さく面の岩盤約一立方米の崩落を来し折柄同所で掘さく作業中の人夫佐々木幸次郎を埋没せしめたが同人を救出すべく久慈喜美男外約十五名が救出作業中同時刻頃更に同所の壁約九立方米の崩落を来したため、右佐々木外十名を埋没せしめ因て同時刻頃同所に於て、

(一)  佐々木幸次郎(当二十五年)久慈喜美男(当四十二年)池田耕一(当四十五年)和田勇(当四十六年)を窒息死に至らしめ、

(二)  松下末芳(当四十五年)を頭蓋底骨折のため死に至らしめ、

(三)  紙本健治(当十七年)に対し全治約三ヶ月間を要する肋骨々折左下腿複雑骨折の傷害を負わしめ、

(四)  福士光則(当二十六年)に対し全治約三ヶ月間を要する左下腿骨折腰部挫傷の傷害を負わしめ、

(五)  佐藤勇蔵(当四十一年)に対し全治約十日間を要する左肩部臀部挫傷左足関節捻挫の傷害を負わしめ、

(六)  佐藤勇一(当二十年)に対し全治約十日間を要する右肩胛部左前膊部挫傷等の傷害を負わしめ、

(七)  須藤文之助(当四十一年)に対し全治約十日間を要する右上膊部左下腿部挫傷の傷害を負わしめ、

(八)  三浦重蔵(当三十八年)に対し全治約七日間を要する左下肢擦過創の傷害を負わしめ、

たものである。』と謂うのであつて、右公訴事実のうち、被告人篠原正雄が室蘭市新富町十五番地所在日本製鋼所病院建設工事の請負会社である株式会社藤田組室蘭出張所長、被告人元吉和彦が同会社の右工事現場監督者、被告人太田拓が更に同病院建設のための地下掘さく工事を右藤田組より下請した太田建設株式会社母恋営業所長、被告人中田正雄が同社の右工事現場監督者であつたこと、昭和三十一年七月二十八日同工事着工以来同所に素掘工事、根掘工事を終り、更に同年八月十五日頃からは右基礎部分の沈下防止並びに補強のため右掘さく部分の外側より内部に向つて長さ四米、傾斜度約四十五度でバットレスの掘さく工事中、同月二十九日午前八時三十分頃南側掘さく面の岩盤の上部が崩落し折柄同所で掘さく作業中の人夫佐々木幸次郎が埋没したが、同人を救出すべく久慈喜美男外十五名が救出作業中、約五分を経て更に同所の壁が崩落を来したため、右佐々木外十名を埋没させ、因つて(イ)同時刻頃佐々木幸次郎(当二十五年)外三名を窒息死に、松下末芳(当四十五年)を頭蓋底骨折のため死に至らしめ、(ロ)紙本健治(当十七年)外五名に対し全治約七日乃至三ヶ月を要する傷害を負わせたことは、被告人らも認めるところであるのみならず諸般の証拠によつてもこれを認めることができる。

併しながら、右佐々木幸次郎外十名の致死傷の原因が本件地下掘さく工事において、被告人らが掘さく面の法を僅かに二分としたこと及び亀裂の存否の調査をしなかつたため、南側壁に素掘面に向つて傾斜している長さ五、六尺におよぶ数本の亀裂の存在を発見し得ず、漫然南側中央に向つて前記バットレス工事を続行したことによつて発生したものであるとすることは、被告人らも争うところであり、また多大の疑問のあるところである。仮りに前記佐々木外十名の致死傷の原因が工事施行者の右過失に基くものとしても被告人らのうち被告人篠原及び元吉にも刑事上の責任があるかどうかについても疑がある。すなわち、本件地下掘さく工事は、日本製鋼所室蘭製作所より株式会社藤田組が請負つた室蘭市新富町十五番地所在の日鋼病院建設工事の一部であつて、株式会社藤田組は右病院建設工事のうち地下掘さく工事だけを太田建設株式会社に請負わせたのであるから、本件地下掘さく工事の実施者は太田建設である。このことは下請負契約書写の内容を見ても明らかで、右被告人らは元請工事の関係で太田建設の為す工事を見守つているに過ぎない。尤も被告人篠原、同元吉の供述中、右工事につき監督の責任がある旨自供している部分もあるが、該自供は右趣旨以上の事実を認めたものとは解されない。従つて太田建設の従業者である被告人太田拓、同中田正雄に、前記佐々木外十名の致死傷の結果につき刑事上の責任を問うは格別、注文者である藤田組の従業者である被告人篠原正雄、同元吉和彦にまで同様の責任を認めることは明らかに不当である。

そもそも過失犯も犯罪であるから故意犯と同様道義的に非難に値する行為でなければならない。このことは刑事上の過失責任の認められる場合には、常に民事上の損害賠償が認められるが、民事上の損害賠償の認められる場合には刑事上の過失責任のない場合もあることにより明らかであろう。過失犯の認定につき「実際生活において危険にさらされることの少ない多数の裁判官は、とかく苛酷になり易い傾向がある。けだしあとになつてから如何なる限度まで予見したか予見せねばならなかつたかを確定することはた易いことである。」との法律上の古諺があるが、本件においてその感を深うするものである。

二、本件過失犯はいわゆる認識なき過失犯に属するのであるが、認識なき過失犯が成立するには一つの要件として結果発生についての予見の可能性が必要であつて、予見の可能性は具体的事実によつて決定される。本件においてはバットレス掘さく工事において工事者は素掘面の岩壁の崩落すべきこと、これがため人の死傷なる結果の発生を予見し得たかどうかである。それには本件地下掘さく工事による素掘面の岩壁の崩落の原因を明らかにしなければならない。

本件地下掘さく工事は、主として東西十二米、南北十六・五米、深さ三・四米の素掘工事、巾一米、深さ一・四米の根掘工事であるが、これらの工事は、本件災害発生当時には既に完了していたので、本件崩落ヶ所の地質は、右掘さく面の岩層により明確にすることができよう。松木憲司作成の調査報告書(以下松木報告書と略称する)によれば、本件地掘工事現場の地質は、東側、南側は全部安山岩、西側は南寄りが安山岩で北部集塊岩との接線は下部において広がつていること、酒井良男作成の鑑定書(以下単に酒井鑑定書と略称する)によれば、崩落個所及びその附近は地表より一米以内では風化が甚だしいが、一米以下では風化は余り行われて居らず、二米以下では毛状キレツも認めなかつたとあることを綜合すれば、本件崩落個所は大きな安山岩の層で地中深く入つており地内に深く入るにつれ堅固であることが認められる。

殊に本件地掘工事によつて掘さく面は永久的に存置されるものではなく、病院の建設を終れば直ちに埋没される仮設的一時的のものであるから崩落の可能性も少いわけである。本件公訴事実によれば、被告人らの過失責任の一つとして素掘工事の法を十分にとらず僅か二分としたことを挙げているが、本件地下掘さく工事は、北側の土層の部分を除き全部ヱアピックにより削岩したこと、そしてヱアピックによらなければ削岩できない岩層においては法を二分とすることの無意味であることは、検察官引用の松木報告書その他関係者の一致した意見である。

また、本件公訴事実によれば、被告人らは本件掘さく工事に際し岩壁に亀裂の存否その方向等を調査すべきであるのにこれが調査を為さず南側壁の中央のバットレス掘さく面西側に長さ五、六尺に及ぶ数条の亀裂があつたのに気附かず漫然右バットレス掘工事を進めたことを挙げている。成る程松木報告書及び公判準備期日における証人松木憲司の証人尋問調書(以下松木証言と略称する。他の証人に対する証人尋問調書もこれにならう)によれば、本件地下掘さく工事のバットレス掘さく面の西側には、厚さ一乃至二糎の摩擦粘土を含む亀裂が二条存することが認められる。(報告書にはその状況を赤線をもつて図示してある)そして右の亀裂と崩落部分の滑面が略同じ位置にあるとし右亀裂に沿つて、滑動崩壊したものとする。報告書における右の記載は、司法警察員及び検察官の本件の捜査について、基本的な事実として取扱われていることは、検察官提出の多くの証拠書類の記載内容により窺われる。併し、右報告書における図面の亀裂と、司法警察員作成の実況見分調書(以下単に見分調書と略称する)添付の各写真特に(5)のそれとを対照するに、図面においては最下部の亀裂はバットレス掘底面の上位に在るが写真では崩落面は、バットレス掘底面の下部に在る。しかも右亀裂は何れも、地表より垂直に下向し下部において素掘面に向つて大きく彎曲しているのに、崩落面の滑面は平面であつて線にすれば斜に直線である。従つて崩落部分の滑面と松木報告書にある亀裂とは全く別異のものである。(こうした間違は松木教授も第七回公判における証人尋問の際まで気附かなかつた、第七回公判調書中同証人の供述)かつまた証人高橋弥に対する証人尋問調書によれば、本件災害発生後同証人は事故原因調査のため、バットレス掘の西側を掘さくしたが、該掘さくについてはヱアピックを用いたほど岩層が堅かつたとあるによりこれを見れば、本件崩落の滑面が松木報告書にある亀裂とは全く無関係であることが判る。従つて被告人らが松木報告書にある亀裂の存在を不注意により気附かなかつたとするも、これをもつて被告人らの過失責任を認める事由にならない。

右に述べたように、公訴事実それ自体では被告人らに刑事上の過失責任を認めることはできない。検察官も公判の最終段階では公訴事実そのままの被告人らの過失責任を認め得られないものとするようで、最終意見(論告)では、本件崩落個所が前記亀裂の存在だけでなく他の状況とともに崩落の危険があつたのに、不注意によりこれを覚知せず、バットレス掘さく工事を続行したによるとする。それ故検察官の論告要旨に従つて更に判断を加えることにする。尤も検察官の論告要旨には架空、独断、偏見的な部分が多く、また被告人に不利益な部分は過大評価し利益な部分はことさら無視する傾きがあるので、その一々に対する説明を省略し、公訴事実に関連する部分についての判断を説明するに止める。

検察官は、被告人らの過失事由として被告人らは、本件地下掘さく工事の掘さく面の崩落の原因となるべき事由を容易に発見し得られるにかかわらず、何ら調査することなく、漫然バットレス掘工事を遂行したによるものとし、そして崩落の原因となるべき事実として、(イ)バツトレス掘さく面の右壁に数条の巾一乃至二糎、長さ五、六尺に及ぶ亀裂の存在、(ロ)崩落個所の岩盤の著しい弛緩、(ハ)崩落個所の地表に存した同病院基礎コンクリートの切断又は掘さく岩片の積載乃至降雨による根掘への水溜り、(ニ)未経験者にヱアピックを使用させたこと、(ホ)事故発生当時被告人らのうち一人も現場に居なかつたことなどを挙げている。

先づ、(イ)の亀裂について述べる。バットレス掘の右壁に粘土を含んだ亀裂が存在していたことは松木報告書及び見分調書添付の写真(5)によるも明らかであつて、被告人らがこれが存否につき調査をしなかつたこと、従つてその存在に気附かなかつたことは疑を容れない。そしてバットレス掘の右壁にこのような亀裂の存する場合、僅か一米を隔てた左壁に同様の亀裂があつたとすることは一応うなづかれるが、それは推測に過ぎない。そのように断定するには、少くともバットレス掘の右壁の亀裂の延長線と見らるべき亀裂が、素掘面に水平に現われていなければならない。検察官はこの点につき、バツトレス掘右壁の亀裂は下になる程広くなり素掘面では、相当巾の広い亀裂が水平に存在し、正面からハッキリ認められたと極言する。併し、見分調書添付の写真特に(7)によればバットレス面の亀裂はハッキリしているが、その延長と見らるべき亀裂は素掘面には全然現われていない。従つてバットレス右壁の亀裂の延長線は、素掘面では現われていなかつたのではないかとさえ思われるのである。松木証人のこれらの部分に関する証言は推測に過ぎないのであつて、より確実性のある見分調書の写真では、むしろ反対になつている。従つて、バットレス右壁に存在する亀裂の内部の方向も確めずして直ちに崩落面にも同様の亀裂があつたとすることは、極めて危険なことであり、同時に素掘面では、正面からハッキリした亀裂の存在を認められたとのことは、たやすく採用することを許されない。

また前記の推定、すなわちバットレス掘右壁に数条の亀裂が存するから崩落部分の左壁にも同様の亀裂が平行して存在していたとの推測が正しいとするも、バットレス右壁の亀裂と崩落部分の滑面との間には全く関連のないことは、既に述べたとおりであつて、ここに再説の要を見ない。見分調書の写真を見れば極めて明瞭であつて、松木報告書もしくは松木証言を借りる必要はなかろう、夫れ故被告人らがバットレス掘右壁に亀裂の存在することに気附かなかつたとしても、同人らの過失責任判定の事由にはならないし、また被告人らが調査をして右壁の亀裂の存在を知り得たとしても、それによつて崩落部分における滑面の亀裂を知り得たとすることはできない。検察官はまた、崩落部分の滑面の亀裂は、素掘面より見えたというのであるが、もしそうだとすれば、左右の両端もしくはその何れかにその延長線とも見らるべき亀裂が存在する筈であるが、これまた見分調書添付の写真特に(13)には現われていない。従つて崩落部分の滑面の亀裂は本件地下掘さく工事中既に素掘面に現われていなかつたと断定はできないが、内在する亀裂がヱアピックによる衝撃により急激に拡大されたため素掘面に現われていなかつたとも考えることができる。その何れかは断定し難いのであつてもし後者であるとすればその発見は法律の世界では何人にも不能である。検察官は松木報告書のバットレス掘右壁の亀裂と崩落部分の滑面とが同じ位置にあるから、崩落部分の滑面の亀裂は、右壁の亀裂の延長であるとの推測を盲信し、これを確定不動的な事実として証拠の蒐集をそれのみに限り、他に一歩も出でなかつた、このことは検察官提出の証拠により窺われる。これがため松木証人も自認するように松木報告書の前記記載が誤つていることが判ると、被告人らの過失責任判定の資料となるべきものがなくなる。検察官にして僅か二、三枚の写真(右壁亀裂の延長線が素掘面正面に現われている状態、崩落部分の滑面の亀裂の延長線が素掘面に現われている状態)を撮るの労を惜しまなかつたら、検察官の前記主張を維持するに吝さかでなかつたかも知れない。本件においては一般的に捜査の方法について欠くることのあつたことを痛感する。

(ロ)について述べる。検察官は、本件崩落個所の地層は非常にもめた地層であり、全体として均一性なく風化並に断層作用により大小無数の節理と亀裂を有し、且つ漸次化学的変質作用により粘土化しつつある状況に在つた。特に南側の岩質は、地表部は浅い土層で、その下が安山岩ではあつたが、著しく変質風化して茶褐色となり非常に破砕し易く、土の一歩手前であり、粘土化し易い状態であり、崩落すれば砂粒状に破砕される状態に在つたにかかわらず、被告人らは不注意によりこれらの状態を知らなかつたとする。文意諒解しかねるところもあるが、要するに本件崩落個所の岩盤は、もめた地層であつて地表に近い部分は土層でそれより以下は変質風化し著しく砂粒状に破砕し易く粘土化の一歩手前に在る状態であつたというに帰するであろう。併し松木証言のいわゆるもめた地層とは、松木鑑定人尋問調書によれば岩層にクラックがあつたり風化により均一性を欠いたり、断層のあつたりすることを意味するのであつて、検察官のいうそれとは大分意味が違つている。本件崩落個所の地質は既に述べたように安山岩の岩層であつて、すなわち、松木報告書、当裁判所の検証調書、証第二、三号の採取見本、酒井鑑定書、見分調書の写真等を綜合する安山岩の層は広く、深く、地表に近い部分は風化断層による亀裂の粘土化(岩石の粘土化ではない)、岩塊岩片の変質した風化岩であつて―従つて検察官のいうように土層ではない―地中深くなるにつれて風化の度漸減し、地表より二米以下においては節理しか認められない堅固な岩盤であつたことが認められる。夫れ故本件崩落個所の岩層は、一般的には極めて安定した岩盤であつたと思われる。被告人らが本件掘さく工事において注意は北側の土層に向けられ南側には余り向けられなかつたとあるはこうした事実によるものである。もし反対に上部が岩盤であつて下層が脆弱の地盤であつたら、崩落による危険の度は多いこと勿論である。検察官のいうところは誇張に非んば架空である。そこで松木証言の「もめた」地層について考えるに茲で注意を要することは、本件崩落個所における岩壁の崩落の危険の判定について、崩落前における通常人もしくは土建業者としての観察と崩落後特に死傷十数名の惨事を起した直後における地質学者の観察とは、心理的にも結果的にも自ら異るものである。過失責任判定の対象となる予見は前者であつて後者ではない。既に述べたように災害は起きた後では如何なる限度にまで予見したか予見せねばならなかつたかを確定することは容易である。いわゆる「もめた」地層とは、亀裂の多い地層をいうのであろうが岩層をヱアピックで破砕するのは、岩層に存する節理もしくは亀裂に急激な衝撃を与え、亀裂を拡大させて多数の岩片に分離するに在る。夫れ故掘削面は凹凸甚だしく、また安山岩の劈開状態は長方形であるから、本件地下掘さく工事の壁面は南側に限らず東側、西側においても、もめていたものと思われる。殊に南側は約三米巾において崩落したのであるから一層その感を強くするであろう。併し同じ条件の東側、西側の岩壁は勿論岩石より崩落の可能性の多い北側の土層においてすら何ら異状がなかつたのに、南側にのみ崩落の災害を生じたのは、東側西側の岩壁とは特に異なる原因があつたものと思われる。併し本件崩落個所の岩壁と他の岩壁とが特に違つていた点は検察官の指摘する前記亀裂以外には証拠上認められない。従つてもめた地層であつたとの事で直ちに被告人らに過失責任を認めることは酷に失する。

(ハ)について述べる。検察官は本件崩落個所の前記地質に関連して(イ)地表のコンクリート基礎を切断したこと、(ロ)地表に岩片を積載したこと、(ハ)降雨による根掘への水溜を崩落の危険の事由に挙げるが、これらのことは常識をもつて判断すれば必ずしも検察官主張のとおりでないので茲では酒井鑑定書のこの部分に関する記載を援用するに止める。

次に(ニ)について述べる。本件災害発生当時川上正良がヱアピックを使用していたこと、同人がヱアピックの僅かの経験しか持たなかつたことは疑を容れない。またヱアピックは、岩石に衝動を与え岩石の節理又は亀裂を拡大させる方法により岩石を破砕するのであるから、ヱアピックの使用中は時々刻々に岩盤に変化を与え掘さく面に在つては崩落の危険の度を漸増することは否定できない。夫れ故熟練者と未熟者とでは崩落の危険の予知につき差異のあることも亦疑を容れない。本件の災害がこのような区別に基いて生じたものとすれば―必ずしもそうとは考えられないが―未経験であるにかかわらず、そのような仕事をした川上自身に先づ刑事上の過失責任を認むべきであろう。そして二次的には、右川上をしてバットレス掘々さくをさせたヱアピック掘さくについての直接責任者である猪股末太郎が負うべきであつて、被告人らにまで及ぼすことは甚だ疑わしい。殊に本件地下掘さく工事注文者である藤田組の関係者である被告人篠原、元吉の両名にまで及ぼす理由は、全く諒解に苦しむところであつて、その理由については既に述べたところである。しかのみならず、本件掘さく面崩落の原因は、ヱアピック使用による岩石への衝撃に基くことは明らかであるが、しかし、それのみによつて生じたものではなく、種々の条件と重なつて生じたものであるが、該条件は不明である。かかる場合ヱアピックを川上に使用させたことをもつて直ちに被告人らに過失責任があつたとは断定しがたい。

以上述べたように、検察官主張の事実は、個々に考えるも、にわかにこれを支持しがたく、全体を綜合するもこれを肯認しがたい。検察官がしばしば引用する松木証言は、本件バットレス掘右壁の亀裂と崩落部分の滑面の亀裂とは同じ位置にあるから両者は同一のもので連絡したものであることを前提とする多くは推測的なものである。併し右の前提となる事実には明白な誤りのあること既に述べたとおりであつて見れば右の事実を前提とする証言には必ずしも信がおけないのである。

検察官は前述のとおり崩落の危険となるべき事実を挙げ、そしてこれらの事実は、何れも地質学的な高度な知識経験を要することなく、また何らの器具も要せず、通常人の常識をもつて容易に観察し得たと力説するのであるが、そうだとすれば本件災害による被害者佐々木幸次郎外十数名、少くとも佐々木を除くその余の被害者は、自らの過失に基いて致死傷の結果を招いたものとしなければならない。何となれば、これらの者は、現場に居て地下掘さく工事に従事している者であるから最もよく危険の事実を知つている筈である。しかもそれを無視して危険個所に立入つたことは、それによつて受けた被害は自らの責任としなければならないからである。土地掘さく工事は上部岩壁の圧力が掘さく面に向つて働くから、蓋然的に掘さく面崩落の危険性を有する。従つて、このような場所で働くものは自身においても、結果回避の義務があるとしなければならない。一切を挙げて工事者に帰するは妥当であるまい。

本件地下掘さく工事において、第一次崩落により佐々木幸次郎が埋没するや久慈喜美男外十名が直ちに同人の救助に当つたが間もなく第二次の崩落によりこれらの者も埋没致死傷の結果を生じた。そうして見ると本件崩落個所はこれらの者にも第二次の崩落を予見させない状態に在つたのではなかろうか。もし検察官主張の如き何人にも見易い崩落事由があればそのうち幾人かは躊躇したであろうと思われるのである。しかもそれらの人が全部土工に経験がないとは言えないからである。

土地掘さく工事においては、蓋然的に壁面の崩落の危険性を有する。従つて何人もこのような場所に臨めば、おのずから、危険回避の態度を採る。これらの業務に携わるものは尚更無関心であり得ない。掘さく面の崩落により掘返し等二重手間による工事の遅延等経済的に不利益を受けるからである。本件被告人らも亦同様であつて、結果的には無駄ではあつたが、掘さく面の法を二分としたが如きは、必ずしも被告人等が災害防止について無関心でなかつたといえよう。検察官は、前記(ホ)の如く、本件崩落当時被告人らが現場に居なかつたことを非難する、併し被告人らのうち篠原及び元吉に刑事責任のないこと前述のとおりであつて仮りに被告人太田、中田の両名が、第一次崩落当時現場に居たとしても、前記久慈ら外十数名と行動を共にしたのではなかろうか、また第二次崩落は、第一次崩落後時間的に僅かの間(現在においては正確な時間を知ることはできない)と思われるがこの間に果して検察官主張の如き措置を完全に採り得たかも疑わしい。換言すれば時間的に見て結果は同一であつたと思われるのである。

被告人太田及び中田が工事請負者の現場監督者として災害発生を未然に防止する義務あること勿論であつて、災害発生の原因となる事実の早期発見に努め、その原因の除去に努めなければならない法律上の義務を有する。併し本件土地崩落個所の地盤は前述のとおりの岩盤であつて、岩盤がボーリング試掘により下部において堅固であると認めらるれば、土層の掘さくの場合より安易に考えられ勝であることは否めない。けだし岩壁は土層より堅固であることは常識であるからである。そして、本件土地掘さく工事は、ヱアピックによつたのであるが、ヱアピックによる岩石の掘さくは岩石に存する節理又は亀裂に衝撃を与え亀裂を拡大させて分離するに在るから、岩盤に絶えず変化を与えている。それ故被告人らは絶えず現場に居てそれを見ていなければならないこととなるのであるが、このようなことは不能に等しい。本件崩落個所が極めて危険な状態に在つたとすれば、従業者にも特別の事情のないかぎり結果回避の義務を認むべきである。

以上に述べたように本件公訴事実は被告人らの態度に遺憾の点がなかつたというのではないが、刑事上の過失責任を認めるに足るべき証拠による証明が充分といえないとするのである。

よつて、刑事訴訟法第三百三十六条に則り、被告人全員を無罪とする。

(裁判官 畔柳桑太郎 藤本孝夫 岡本健)

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